作出しようとするならば,遺伝的多様性に配慮した人工種苗放流を行わなければ,貴重な遺伝資源を失ってしまう可能性もある。このことは水産に限った話ではなく,生物の多様性が保全されて行くなら我々は今後も様々な動植物から,抗ウィルス,抗ガンといった薬効をもった物質や種々の産業に有用な形質を見いだすに違いないが,今の世代が生物多様性をないがしろにすれば将来の世代が様々な動植物を利用する機会を奪ってしまうことになるのである。それは生物多様性条約に示された「生物多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用」のため,我々が未来の世代に対して負っている責務である。

田中は,日本の調査研究は,1)長期的視点に欠ける,2)広域的視点に欠ける,3)総合的視点に欠ける,と指摘している。本県の水産研究はこれら3つの視点を持ち合わせているだろうか。我々は自然を相手にした研究員であって,一発当てて一儲けを企む山師ではないはずである。我々はまだ知らないことが山のようにある,というよりも知っているのはごくわずかである。そういう状況下で,わずか3年や5年という期間のうちに目に見えるような成果を示すことはそう簡単にできるわけではなく,ましてや多様性保全への対応は短期間で成果を求めるような研究ではない。短期間の試験や調査で実を結ぶような仕事ができればすばらしいことだが,現実には地域の生態系や対象生物の生態が全く未解明のままプロジェクトが進行していることが多々あるように思う。今まさに我々が築こうとしているのは砂上の楼閣ではないだろうか。我々が研究対象としているものはとてつもなく深く,広い。他の産業と同じような試験期間で同じような成果を望むのは到底無理であるはずなのに短期間で成果をあげようとする。そのため,結果的に山師的な仕事をやる羽目になっていないだろうか。我々の仕事は科学的真理の探究だと私は信じているのだが,も

 

 

 

しそうであるならば,短絡的な張りぼての成果を求めるのではなく,将来の世代に引き継げるような研究を行いたいと思う。話を種苗放流に戻せば,FAOは人工種苗生産において,有効親魚数を親を継代しない場合(短期的事業),Ne=50以上,継代する場合

(長期的事業),Ne=500以上と提唱しているが,実は産卵水槽の親の遺伝子すべてが子孫に伝わっているわけではなく,マダイでは親250尾中91尾であったという報告もある。従って,FAOの提唱に従うならば長期的事業の場合,相当数の親魚を確保し,用いる必要があるが,欧米には種苗放流をGenetic Pollutionと表現する研究者もいるという。もし,今後も種苗放流を継続していくのであれば,我々は一刻も早く個々の種の天然集団の構造を明らかにし,その集団構造に合った種苗の生産,放流そして監視手法の確立に向けて真剣に取り組む必要がある。失われた遺伝資源はもう戻ってこないのだから何か問題が生じてから腰を上げていては手遅れである。我々が水産有用種を将来にわたって持続的に利用していくためには今,何を優先的になすべきかを真剣に考えなければならない。「…人間という種が大自然から与えられている遺伝子の多様性と柔軟性を奪い取ってしまうかもしれない。ここでもまた,人間は神のごとき力を,神のような知恵を伴わずに,行使しかねない。」−A.ゴア「地球の掟」

参考文献

1)谷口順彦(1995)水生遺伝資源の利用と保全について−FAO専門家会議の報告書(1993)  より−,水産育種22:83-102

2)田中克(1999)ヒラメにみる栽培漁業の根幹に関わる生物学的諸問題,水産育種27:3-13

3)谷口順彦他 (1998)マイクロサテライトDNAマーカによるマダイ放流用種苗における  集団の有効な大きさと近交係数の推定,水産育種26:63-72(指宿内水面分場 山本 )

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